雪がしんしんと降り続く日。
バスも運休。 予定変更で2泊滞在をのばし6泊7日間眞知子農園さん宅にお邪魔しました。
この日眞知子さん独り占めで2人きりでいろいろお話しました。
昼すぎに話し始めて気がついたら夜9時になっていました。
自分の人生を大きく変える1つの分岐点になりました。
最初は当たり障りのない話しをだらだらとしました。 ちょうどNHKで「洞窟おじさん」というドラマがやっていて2人で笑いながら見たりしました。
眞知子さんがふと「悩み事とかないでしょ?」と質問してくれました。
少しづつ話し始めたらあとは勝手に口から言葉が飛び出してきました。
家族のこと。仕事のこと。お金のこと。などなど夢中で喋り続けて、いつのまにか泣いている自分がいました。
お金のことで家族から完全に自立していないことへの情けなさ。なんとか1人でどうにかしよう。と。考えに考え、行動もやってきたつもりでいました。 家族と一緒にいて、話しもよくするし仲もそこそこいいはずなのに。
なぜか1人で頑張っている気がしていました。
1人でした。
お金が思うようにまわってこず、いつも勝手に自分で作り上げたルールにしばられて苦しかったです。
なぜか農家の家族っていうのは仲がわるいことが多いです。みんなが仲がいい家族っていうのは聞いたことがないくらいに。
子供の時には仲がわるい家族の中で、みんな面白い話しをしている風なのにどこか本当じゃない。ドラマのように演じているような違和感がずっとありました。
ガンジーが言っています。 人生のある側面で悪事を行いながら、他の側面で善意を行うことは不可能である。と。
裏表はばれます。 人間はやっぱり動物。 感じてしまいます。特に子供なんて全部見て、感じてしまってます。
そんな中にずっといて、10代後半、20代前半となんとかこの雰囲気を治せないかといろいろ試しました。 でも結果は変わらず。
日本がいやだ。 家族がいやだと環境を変えるためにオーストラリアに行きます。
30代になり帰ってきて。家族は1つではないかもしれないけど、それぞれはとても愛情深くて。自分は愛の中心にいたんだと感じはじめてから日本が居心地良くなりました。
ぐるぐるぐるぐるしてきたように思います。でも今思えば全部が気づくために必要でした。
いろんな人にあって、価値観に触れ。ようやっと自分が家族の枠の中に入って周りを照らせるようになったような気がしました。
眞知子さんが自分がなぜか大事にしていた「えーかっこしー」のルールをでっかい愛情の塊と眞知子節で壊してくれました。
「金銭面で頼りたくない。とかいっている場合やないよ。木下家を守らないといけんよ。」
頑なに自分1人でやるしかないと思っていたこと。
みんなでやるといいながら全然できていなかった自分。信じれていなかった自分。
「家族みんなで、木下家みんなで仕事もやっていったらいいんよ。」と。
「頼らんとなんとかするってのは自己中でかっこつけなだけよ。」と。
「そして家に帰ってまず一番にしないといけないのは、おじいさん、おばあさんを安心させてあげることよ。」と。
「家族にみんなでやりたいんやって。だからこれがいるんやってちゃんと伝えることよ」と。
もともと4泊で帰る予定でした。何人かの農業関係の方々を紹介いただき、竹粉砕機のことや新しく安来市がとりくもうとしていることにも少し関われるご縁もいただきました。
でも大雪が降ったおかげでこの時間ができたんです。
その日は眞知子さんの亡くなった旦那さんの誕生日でした。
帰る気満々やったのにこういう時間をプレゼントしてもらったような気がしました^^
実家に帰りまず祖父母にこの話をしました。
最近体調を崩し気味でどんどん弱っていく祖父でしたが丸っこい優しい目で「そうかそうか」と嬉しそうに聞いてくれました。
父と母にもその話をしました。 少し世界が変わった気がしました。
今回の件。眞知子さんには感謝してもしきれない素晴らしいものをいただきました。
ありがとうございます。眞知子さん。
今日、大好きな祖父が他界しました。 98歳でした。
これからお通夜、告別式いろいろやることがありますが、家族それぞれが役目をもってそれぞれに動いているのをみてこれがおじいちゃんがずっと見たかった景色なんかな?と思ったりしました。
今は涙があほほどでてでてしょうがないですが、眞知子さんがいってくれたように堂々と魂を抱いてあげようと思います。
今晩と明日の夜は祖母とおじいちゃんと同じ部屋でお線香をあげ続けながら過ごします。
今までになく暗い感じの文になってしまいましたが、自分にとってとても大事なことなので残しておきます。
今日も読んでいただきありがとうございました^^
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